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.14 2016 日記 comment(0) trackback(0)
春 望
 
       五言律詩。長安の賊中にあって、春の眺めを述べる。
 
  国破山河在   国破れて山河在り
  城春草木深   城春にして草木深し
  感時花濺涙   時に感じては花にも涙を濺ぎ
  恨別鳥驚心   別れを恨んでは鳥にも心を驚かす
  烽火連三月   烽火 三月に連なり
  家書抵万金   家書 万金に抵る
  白頭掻更短   白頭 掻けば更に短く
  渾欲不勝簪   渾て簪に勝えざらんと欲す



13日に叔父が亡くなりました。

齢88歳だったかな。この叔父はこの世で私の父に一番近い人だった。



海軍予科練少年特攻兵。14歳で志願、17歳で終戦。

彼が如何に平和を慮って生きてきてきたのか平和ボケしている私には理解してあげれなかっただろう。

どころかこの3年ほどは健康のようすをも聞きにも伺わなかった。

長崎にピカドンが落ちたとき、俺は佐世保にいた。

戦闘機がもう無かったから震洋というベニヤで貼り付けた特攻機の練習をしていた。

予科練は白の詰め襟だったから、何せ目立った。

戦中は女学生が後ろをならんでついてきたもんさ。

そりゃお国の為に戦闘機に載って死に行く青年やったから、可哀想にも思ったんやろ。

戦後はMP(米軍の憲兵)に追い回されたわ。

長崎から歩いて京都まで帰って来たんやがジープにのったMPがわしを見つけたら飛んで来よった。

武装解除されてるから果物ナイフの一本も持ってなかったが、丸裸にされて、たんびに武装検査や。

あんまりにも腹が立って、つい大きな声で「持ってはおらんわい!」といってしまったときに、あいつら機関銃構えながら五メートルぐらい飛び下がりよった。

神風は米軍に対してもそれほどのものやったんやなぁ。



そんな叔父が17歳で復員してくるときに常に口ずさみながら京都を目指した漢詩が冒頭に書いた杜甫の余りに有名な「望 春」

長崎でも広島でも線路伝いに帰ってくるわけであるが汽車のレールが飴を捻ったようであったと語る。



この叔父に私は小学生の頃、叔父の駆る自動車に乗せてもらって一度だけ琵琶湖へ泳ぎに連れて貰っている。

マイアミ海水浴場。

奇しくもそれから50年後の現在、その楽しかったマイアミ水泳場からそれほど遠くも無い場所に住み、孫たちはその水泳場でよく遊ぶ。

その孫たちは私の叔父の顔も知らないし、50年前に私がそこで水泳なるものを習ったことなど知る由もない。


国破れて山河あり。

少年兵だった内山徳秋の見た光景が何故だか叔父から私の目にも転送されているようです。

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