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.08 2014 日記 comment(1) trackback(0)
嘉永6年(1853年)黒船の来襲から明治維新を迎え日本は大きく変わった。
日清、日露戦争を経て太平洋戦争へ突入する。
大国との戦争に勝利できるとでも思ったのだろうか。


山本五十六は1919年大正8年、35歳の海軍少佐でハーバード大学に留学している。
彼は当時の超アメリカ通であったはず。足掛け9年に渡る海外生活のうち7年をアメリカで過ごした。
彼は日曜の朝にアメリカの一般家庭では自家用車に乗って教会へ行き、その帰りにボーリングを楽しむことを知っていた。
かれの生誕の地の新潟県長岡市でボーリンク場ができるのは彼の戦死後30年ほども経っていた。
彼は比べようのない程の国力の違いを熟知していた。
しかし、敢えて太平洋戦争に突入した。


本日のブログの冒頭で書いた黒船の来襲。
マシュー・ペリー提督だっけ?率いるアメリカ合衆国海軍、東インド艦隊。
このペリーが来て、太平洋戦争が終了する1945年までがアメリカの描いた日本占領作戦だったのではないか?
安政5年(1858年)に日米修好通商条約を締結の後、日本はアメリカが敷いたレールの上を走り続け、原爆を日本人の肉体で受け止めることによってそのレール上を走ることを一旦終了した。もう走れなかった。


遂にアメリカは100年近いミッションを完了した。
日本は焼け野原になりアメリカの軍用車両の轍をこの国土に刻ませた。
それから約70年の月日が経ち、日本はアメリカの言う同盟国(オトモダチ)として国際社会で色んな役割を果たして来た。
ジャイアンとのび太のように。しかしそこにドラえもんはいてはくれない。


先程テレビの画面の中でケネディー駐日大使のお美しいお顔が大きく写し出されていた。
あらゆるインタビューに対する答えの中に「アメリカの国益」と言う言葉を繰り返し使っておられた。
私は彼女の母親譲りの美しい微笑みとキャロライン・ケネディーという名家のお名前の持つ催眠術にかかっていたかも知れない。

しかしここらでアメリカの華麗な催眠術からぼちぼちでも覚めないと、近隣の国々の諍いにオトモダチとして巻き込まれ、また焼け野原を経験させられるような気がするのである。

ケネディー女史の繰り返し語った「アメリカの国益」とはいったい何ぞや?
焼け野原の後、韓国と日本が一つの国家になるなんて両国民の許容範囲を超え過ぎていると考えるのは単一民族国家の住人の考える事で、人種のるつぼのようなアメリカにそんな感傷的な想いなど存在しない。

それどころか、自分の生まれた国を捨てて来た人々の集合体であると考えた方がアメリカを理解し易い。

多分彼等は隣国民を犬を食べる奴等と日本人はイルカやクジラを食べる奴等ぐらいにしか思っていないと言えば言い過ぎか?

どちらにせよ我々は今もアメリカの敷いた決して見えはしないレールの上を走り続けている。

そして70年前のように失速し、停止する日も近い。

そして仲が良いのか悪いのかが既にわからない隣国もアメリカの敷いたレールの上で我々と時を同じく失速しかけている。

ながた ひとし
ほんと、そうですよね…(。-_-。)
2014.03.09 17:19

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